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2011年7月10日日曜日

才能がないと言われ続けた人の話

Kくんは中学生になったとき、
前から憧れていた柔道部に入部しました。

周りの人達は、Kくんは柔道部には向いていないと決め付けて、
辞めるようにすすめました。
実の親ですら、「あんたには無理だから、辞めなさい」
と言う始末です。


K君は逆に見返してやりたくなり、
結局柔道部に入部しました。
中学一年:必死に基礎トレーニングを続け、誰よりも練習を頑張りました。
でも、初めたばかりということもあり、結局一回も勝つことは出来ませんでした。

中学二年:一生懸命練習しているのですが、なかなか周りの人に勝てず、
やはり一回も勝つことができませんでした。

中学三年:最後の年なので、より一層練習に励みましたが、
後輩にすら負けてしまう始末でした。

K君は結局中学三年間で一回も勝つことができず、
それどころか一回も公式戦に出場することすらできませんでした。


誰の目から見てもK君が柔道に向いていないことは明らかでした。
しかし、高校でK君が選んだ部活は、再び柔道部でした。

高校一年:K君は誰よりも早く柔道場に行き、雑巾掛けをし、
誰よりも遅くまで練習しました。

でも、一回も試合に勝つことは出来ませんでした。

高校二年:この年も、K君はとても頑張って練習しました。
練習量では他の部員の誰にも負けません。

それでも、公式戦のメンバーに選ばれることはありませんでした。

高校三年:高校最後の年ということもあり、K君の練習量は増すばかりでした。
柔道暦も6年になり、積み重ねてきた練習量では右に出るものはなかなかいないでしょう。

しかしながら、K君が公式戦のメンバーに選ばれることはありませんでした。
結局、中高通して6年間人一倍練習をこなしてきましたが、
K君は一回も公式戦に出場することはできなかったのです。


周りの人々は
「K君も、さすがにもう才能がないことに気づいただろう」と想っていました。
K君は大学に進学し、柔道の苦い記憶とおさらばするのだと誰もが想っていました。

しかしながら、なんと、K君が選んだ部活はみたび柔道部でした。
周りの人には理解ができませんでした。

大学一年~三年:K君の経験はかなりのものになっていましたが、
公式戦に出場することはできませんでした。

大学四年:学生最後の年です。K君の頑張りを側で見てきた監督は、
とうとうK君を個人戦に出してあげることにしました。
十年目にして、初の公式戦出場が決まったのです。
そして、その初の公式戦で、K君は見事(北海)道大会でベスト8(4?)という
輝かしい成績を収めることができました。


なかなか結果が出ないと思っていても、続けていれば少しづつでも力はついていくものなのですね!
・・・とここで終わっても十分美談なのですが、


実は、K君・・・



片手がないのです。
生まれつき。


それで道大会ベスト8!!


僕はK君の前で「精一杯頑張りました」とか
「出来る限りのことはしました」とは言えないです。。


【2】2つ目は短いです。
有名かもしれませんが(某恋愛旅行番組でスー○ンという方が話していたので)、
ノミの話です。


ノミという虫は、跳躍力の強い虫で、自分の体長の60倍の高さ、
100倍の距離を一回の跳躍で飛ぶことができます

ある実験で、ノミを小さなガラスの箱の中に入れました。
ノミはガラスがあるとは気づかないので、思いっきり跳躍するのですが、
すぐにガラスの壁に激突してしまいます。
その状態で一定期間おいておくと、ノミはガラスに激突しないぎりぎりの高さ
までしか跳躍できなくなります。
その状態でガラスのふたを開けても、ノミはガラスに激突しないぎりぎりの高さ
までしか跳躍できないので、箱からでることはできません。


実際にはふたなんてないのに。。。


僕らも、知らず知らずの間に、自分自身で、限界というガラスのふたを作ってませんか?
もしかしたらそこにはガラスのふたなんてはじめからないかもしれませんよ。

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