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2010年11月13日土曜日

馬鹿と言われ続けた人でも立派になる秘訣

釈尊の十大弟子の一人、シュリハンドクは、
自分の名前も覚えられぬ生来の馬鹿だった。

さすがの兄も愛想をつかし、家を追い出した。
門の外で泣いているシュリハンドクに、
「なぜ、そんなに悲しむのか?」

釈尊は、親切に聞くと、
正直に一切を告白し、

「どうして私は、こんなばかに生まれたのでしょうか?」
さめざめとハンドクは泣いた。

それを見て、
「悲しむ必要はない。お前は自分の愚かさを知っている。
世の中には賢いと思っている愚か者が多い。
愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ」

釈尊はそう言って、一本のほうきと、
『ちりを払わん、あかを除かん』の言葉を授けられた。

シュリハンドクは清掃しながら、与えられた聖語を
必死に覚えようとした。

『ちりを払わん』を覚えると『あかを除かん』を忘れ、
『あかを除かん』を覚えると『ちりを払わん』を
忘れる。

しかし彼はそれを二十年続けた。その間、一度だけ、
釈尊から褒められた事があった。

「お前は、何年掃除しても上達しないが、
上達しないことに腐らず、よく同じ事を続ける。

上達することも大切だが、根気よく同じ事を続けることは、
もっと大事だ。

これは他の弟子に見られぬ殊勝なことだ」

釈尊は彼の、ひたむきな精進を評価したのである。

やがて彼は、ちりやほこりは、あると思っている所にばかりにあるのではなく、
こんなところにあるものか、

と思っている所に、
意外にあるものだということを知った。

そして、
「おれは愚かだと思っていたが、俺の気つかないところに、
どれだけおれの愚かな所があるか、分かったものではない」
と驚いた。

ついに彼に、阿羅漢のさとりが開けたのである。

よき師、よき法にあい、よく長期の努力精進に耐えた結果に
他ならない。

社長は最近私に無言の教えを下さいます。
今回の話もそうだ。

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